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執筆者の写真本社staff-k

映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」で知ったコーダが抱える問題

更新日:9月27日



先日公開された吉沢亮さん主演の映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」を娘と観に行ったんです。


映画ぼくが生きてるふたつの世界のチラシ

これは耳の聞こえない両親から生まれた耳の聞こえる子供を吉沢亮さんが演じているのですが、成長と共に感じる色々な葛藤を描いた親子の愛の話です。

実際の原作者の五十嵐大(いがらしだい)さんを吉沢亮さんが演じています。


個人的に手話にも興味があり勉強したこともあるので、公開をとても楽しみにしていました。

この映画を観て、率直に感じたことですが、


やはり障がいを抱える人やその家族が抱える問題などは、なかなか回りの人達には気付けない部分が多く、こういった作品を通して多くの人が、障がいについての知識を持てる

世の中であってほしいということです。


耳の聞こえない人にとって手話は言葉であり、自分の伝えたいことを伝える手段ですが、

手話を知ってる人がごく限られているために、見た目の手の動きが、何をやっているのか

わからずにじろじろと物珍しくみてしまう周りの目が、大人はもちろんですが子どもにはさらにとてもつらいことであることを学びました。


このブログを読んでくださってるあなたはコーダという言葉を聞いたことがありますか?

私はこの映画を観た後、ふと過去に、2022年金曜ロードショーで放映された「コーダ愛のうた」を思い出しました。この映画もとても感動あふれる映画でとてもよく覚えていたんです。


ですが、その時はとくにこの映画のタイトルである「コーダ」という言葉について気にも留めなかったのですが、今回「ぼくが生きてる、ふたつの世界」で「コーダ」について学んだ際にそういうことか・・・と納得したんです。


「コーダ」という言葉があるのは、それだけ世界中でコーダが抱える問題がとても多いからなのかもしれませんよね。


映画の中で、吉沢亮さん演じる大(だい)は、自分と同じ境遇にいる人なんていないと思っていて、ずっとその環境に悩み、苦しみ、苛立ち、そのどうしようもない不安や怒りを抱えていたのですが、大人になって東京に出てきたことで、日本には自分と同じような境遇のコーダが2万人以上いるという事実を知るんです。


そして、あんなに嫌で使いたくなかった手話を通して、東京で人間関係を築き、

耳の聞こえない人の思いを知ることで、それまで自分をいつも応援してくれていた、嫌いだった母親の愛情を思い知らされることになります。本当は大好きな母なのに、素直になれなかった自分の行動を悔やむんです。


障がいのある方やその家族にとって、どれだけ普通の生活をすることが大変なんだろうか?


ということも、だれでも頭ではわかっていると思うのですが、映画を観て私には想像を超える大変さでした。

そして特にコーダが抱える問題はとても大きなものでした。

障がいのある方がクローズアップされることはよくあると思うのですが、その周りの家族、特に子供にも大きな問題があることを映画を通して学ぶことができました。


コーダが抱える、他人との違いや、自分が親の言葉を代弁して伝えなければいけないことへの苛立ち。


サポートをすることで、自分の時間や、自分がやりたいことに集中できる環境が

他の人よりもないことへの苛立ち。


親が障がいがあることで、制限される仕事。それによる収入の低さが生活水準も下げ、

周りの友達のような生活水準ではない苛立ち。


自分は感じていなかったのに、周りの大人からの「かわいそうだね」「がんばって」という哀れんだ言葉や視線が重くのしかかる苛立ち。



沢山の苛立ちが、心の不安定な思春期に背負わなければならないとことは

とてもつらいですよね。。。


この沢山の苛立ちを、子どもは耳の聞こえない親へ向けてしまうことは

未熟さゆえに仕方のないことなんじゃないかと思えました。



なのでこれらの苛立ちと向き合うにはそれなりに理解できる年齢になってからであることは

仕方のないことで、映画の中でも、大(だい)は母親にひどい言葉を何度も浴びせていたのが印象的でしたが、それが現実であり、このことを周りの大人たちや社会が理解して

あげなければいけないんです。


映画を観ていて、なんでそんなひどい事いうの? ?と思いましたが


同じ年齢の子供より多くのことを経験し、年齢以上のいろいろなストレスと戦いながら

生きなければいけないコーダの子ども達を周りの大人たちがもっと理解することが

本当に必要なんだな、、、と観終えて感じましたし、大(だい)がひどい言葉を親にかけてしまうこともコーダの成長段階において、必要なことなのかも?とおもいました。


だって、コーダに限らず、多くの子供が思春期に自分の親に対して「くそばばあ」「うざい」「むかつく」と投げかけるのはよく耳にすることです。


実際我が家でもありました。


ですが、ここでのコーダとの違いは、普通思春期の子供が親に対して暴言を吐いた際、

その言葉はストレートに親に届きます。

コーダの場合は、苛立ちから暴言を吐きつつ、それを手話で親に怒りを伝えなければならず

この怒りを自分の口からストレートに伝わらないもどかしさが、さらにコーダをイライラさせてしまうんです。なので、その行動こそが面倒になり、伝えることさえもしたくなくなってしまい、親子の溝がさらに深くなってしまう原因なのかなと思いました。


また耳が聞こえない人もその家族も、自分たちは他の多くの人とは違うかもしれないけれど、幸せに、毎日を過ごせているのに、周りの人が勝手にかわいそうな人たちというレッテルを貼ってかわいそうな人として接する対応こそが、障がいのある方やその家族にとっては

つらいことなんだということを学ぶことができました。


「幸せであるか」ということは他人が決めることではなく、当事者たちが決めることなので

勝手な想像で「幸せ」や「不幸」を押し付けてはいけないんです。


私たちができることは、障がいのある人達が、住みやすい社会にすることであり、

障がいのある方たちを理解し、知ること。

助けを求めてきた時にそっと手を差し伸べることができる社会なんだなと、この映画を観て改めて感じました。


目指していきたいですね。


映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」主演吉沢亮 

本当に素晴らしい作品でした。

観ていない方はぜひ観てくださいね。

お子様がいる方はお子様と一緒に観ることをお勧めします^^



#ぼくが生きてるふたつの世界

#吉沢亮

#コーダ

#聴覚障がい


*記事内の写真はネットよりお借りしています




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